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仕事って…盲導犬・・・・・涙

 大阪で仕事して疲れて電車で帰るとき、盲導犬を時々見かけました。犬目線からは無数の人間の足、見下ろす好奇の目線。地下鉄の轟音。うるさいマイクの音。

心ない人からタバコの火を押し付けられても黙って耐えて。毛が焼けこげ黒くなり、火傷を負っていることさえあります。

 そんな盲導犬は寿命が短く、10年経つと老犬ホームのようなところで晩年を過ごすのですが、パピーといって子犬の頃1年間だけお世話になった家族の元に引き取られることになった老犬の画像を見ました。10年前に見慣れた景色。車の中からもう分かっていたのでしょうか。車から降ろしてハーネス(犬用の胴輪)を外すと、なんと

 走ったのです!!!!尻尾を振って!犬が走る。尻尾をふる。その当たり前のことさえできなかった。盲導犬という過酷な仕事。意思で走ることさえ許されなかった。お仕事をもうしなくていいということをハーネスを外した瞬間に分かったのか、子犬の頃を思い出したのか。

 10年前の飼い主さんの腕に、尻尾をふり飛び込んで、体を摺り寄せています!!

 「もうお仕事しなくていいんだよ。走っていいんだよ。好きなときに甘えていいんだよ」

 涙があふれました。

突発性難聴になってしまいました

  おかげさまで、まもなく、開業して1年を迎えようとしています。田舎の来客システム(ほぼ予約なしで、来られる)にも大体慣れてきましたが、最近は、土日もなんとなく仕事をしてしまっているせいか、電話もかかってきて、結局、毎日仕事をしている状態に。

 のんびり仕事をしているようでも、寝てるときも、頭で気がかりな案件がよぎります。ストレスと言えばとてもおこがましいですが、何かと考えこみます。

 すると、突然に、耳が聞こえずらくなり、平衡感覚がおかしくなって、あららっと左に倒れそうになり、「突発性難聴」というのだそうです。電話の声が聞きずらく、水の中にいるようです。

卒業

  最近は卒業という言葉がはやる。何かに一区切りつけて次のステップに行くときに「やめた」といわずに卒業したという。「私は〇〇を卒業します!」 卒婚、卒母、卒サラ・・・・・・

  人生を卒業したときが「死」なのかな。私はまだまだ卒業できないので生かされている。

  尾崎豊の歌詞で、「あと何度自分自身、卒業したら本当の自分にたどり着けるだろ・・・」
 はとても意味深い言葉で、著名な哲学者や大学教授が、この言葉に感銘を受けている。

  私もその中の一人だが、これがただの学校を卒業した学生の唄ではないことが次の歌詞

  「仕組まれた自由に誰も気付かずに、あがいた日々も終わる」「この支配からの卒業」
  「闘いからの卒業」

  10代の若者が、この言葉を紡いだということに衝撃を受けた。

 

言葉、まなざしの対話

「言わなくてもわかる」

 

 恋人、兄弟、親子、友人。必要なことは言葉にした方がいいのか。分かり合えるとはどういうことか。

 時と場合による。と思う。

 例えば、言葉を発し始めた歩き始めた幼児がいるとしよう。
 お母さんは、幼児が言葉の意味が分からなくても優しく語りかけることは必要であろう。

 しかし、秋の夕暮れ時、山に夕日が沈みかけるとき、また、海から朝日が昇り始めるとき、
 目の前には大自然のパノラマごとく、オレンジ色の夕焼けが、朝焼けが、美しい景色!!

 幼児の感受性に響いたのか、つぶらな丸い瞳を見開いて、「オウ、オウ!」と声を上げ、両手を
 バタバタ、感動に浸っていて、母親の顔を見上げたとき、

 母親はただ、ただ、共感のまなざし(そうね、そうね)の笑顔で十分。幼児は共感を得ると、
 その自然な光景に目を戻して、また自然と一体になっている。

 これが認知症の方でも障害の方でも、健常な男女でも同じだと思う。

 私は成年後見人として、終末期のご老人と言葉のないコミュニケーションをまなざしと握った手でさせて頂くことがある。医学的には意思能力、判断能力がなく意思疎通困難と判定された方でも、生きていて、窓からの風に触れ、光を浴び、私の声や手の温もりを感じて、その方が少し、笑ったように見えて、皺だらけの中の小さな瞳のまなざしを感じるとき、優しい雰囲気に包まれる。私も穏やかにまなざしで返す。そして、癒されるのだ。

0(ゼロ)葬。あっさり死ぬ

 「骨まで焼いてください。墓はいらない」

 最近、小さな葬式が流行っている。家族葬や友人葬。そして火葬場での直葬。ただし、いくら葬儀の簡略化が進んだとしても、遺骨は残る。
 そこで究極の葬儀が「0葬」である。西日本の火葬場では、申し出があれば遺骨を引き取らなくてもよいところがある。その残骨はどこに行くのか。いろいろな説があるが、業者が引き取り、骨を機械で粉砕してお寺で供養される。そのうちの一つが、
石川県輪島市にある曹洞宗大本山總持寺祖院である(今は横浜市に移転)。總持寺には残骨を処理する業者の団体が建立した観音像「全国火葬場残コツ灰諸精霊永代供養塔」があり、残骨はその背後にあるステンレスの容器の中に納められ供養されている。火葬された骨が最終的になんらかの形で供養されるのであれば、永大供養墓に合祀するのと変わりはない。

 ハイテク火葬場ができて、すべてが燃え尽きてしまい遺骨が残らない方法も選択できるようになれば、「骨まで焼いて下さい。墓はいらない。私は0葬」と唄の歌詞でもなりそうだが、
 それはあくまで一つの選択肢として考えたい。葬式や墓参りが一種のグリーフケアになる場合もあるからである。

  

 

 

 

 

 

 

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